神々はみている。

すべての事業は人で成り立っている。そこに係わる1人・1人がいかに当事者意識/責任感は当たり前、熱い思いを持って仕事を進める。これが理想形。

少数精鋭が最高の姿だろう。でも、工場は少数じゃ動かない。それでも、1人1人育てて行くのみ。

それは手取足取り、ひとつひとつ指導していくしかない。育たないのは、僕らの問題である。パワー・時間をかけてない証左なんだろ。

目標設定・適当な指示だけ出して、結果だけ見てないか?途中のフォローは?モチベーションをくすぐってるかい?やってるつもりだけれど、十分ですか?「やって見せ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ」とは山本五十六の名言。ここまでやれてますか?自分に自問する日々である。


さらに最近すごく気をつけている点がある。高い視点を失わないこと。常に完璧を目指すことの重要性。これにまつわるギリシャの彫刻家フェイディアスの有名なお話。ドラッカー本なんかによく引用有り。すごーくスキなんですよ、個人的に。

アテネパンテオンの丘に建つ彫刻群を完成させたフェイディアスがアテネの会計官に請求書を送った。会計官は「彫刻の背中は見えない。見えない部分まで彫って請求してくるとは何事か」と全額の支払いを拒むと、フェイディアスは言った。「そんなことはない。神々が見ている」。

かっちょえーなぁ。神々が見ている。僕らの仕事も神々が見ている。だから手を抜けない。おお、話がずれた。


中国ではこの位でええやん/差不多的な仕事が目に付く。ここは中国。ゴミを拾うってことひとつ、できない。だって、彼らは普段から街の通りが汚れていたってゴミは拾わない。ましてや、工場内のゴミを自発的に拾うかい?清潔ひとつとっても基準が違う。現実問題、僕らが目指すレベルと、彼らの考えるレベルには途方もない差がある。


でも、僕らは決して麻痺してはいけない。ここは中国だけれども、お客様は日本にいる。仕事は日本レベル、コストは中国レベルを求められているということを絶対忘れちゃいけない。神々は見ている。お客様は見ている。


じゃあ、これをいかに現場に落とし込むか。「やって見せ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ」。できていますか?やれ。神々は見ているのだ。



PS あー、今週末フジロックじゃねーか。いいなぁ。