躍動感のあるテニスを手に入れろ

日本は終戦記念日であろうが、御盆であろうが、小泉首相が最後の靖国参拝を決行しようが、僕には関係ない。僕の人生は、下痢か、下痢じゃない日の連続でしかなく、今日は下痢の日。がっくり。明日は下痢じゃないことを祈る。なにがいいたいかってーと、中国にはお盆は無くて、普通に働いていて、テニスで惨敗し、下痢も復活した。そういうことである。


テニスってのは、スウィングするスポーツだ。スウィングってのは躍動感だろ。オーケストラに近い数で鳴らす、正装した白人カップルが踊りだすような古き良きジャズだ。世の中には、美しいテニスか、美しくないテニスしか存在せず、僕の鳴らすテニスは、不協和のひどい聞き苦しいフリージャズのよう。なにやら重苦しくって、全然スウィングしていない。


美しく勝利せよ、とはヨハン・クライフの言葉。美しく勝利するテニスを身に付けたい。そう切に願う。でも、願うだけじゃ手に入らない。


オシム監督は言う。「休みから学ぶものはない。選手は練習と試合から学んでいくものだ」 がっくりしてるひまはないのだよ。練習を続けろ。できるまで続けろ。そして、試合に出ろ。試合と練習でしか、テニスはうまくならないのだ。


見ている人が踊りだすような、ファンク・ジャズのような躍動感のあるテニスを手に入れろ。僕はまだ終戦していない。コートへ出ねばならない。